|
食堂の乗務員が食事の注文に回ってきた。リッチそうな彼は案の定予約券を持っていた。42フランだそうだ。
料理の味より食堂車の雰囲気がとても良く、気に入っているとか。1時から食堂車に来るよう告げられていた。
私たちは食堂車に行くことは最初から考えもしなかった。
今日は手作りのサンドイッチ弁当を持って来ていた。
次の予定を見ようとして、旦那は大事なマニュアルがないことに気付いた。リュックにもどこにも入っていない。サンモリッツで鍵を返すカウンターの上に置いたまま忘れてきたらしい。いろいろ大事なもの、個人情報も入れていたのに。同じもの2部持って来てて良かった。コースもだけど契約書、バウチャーみんな綴っていたんだよ。
|
黒い車両が食堂車 |
|
|
氷河急行の座席には折りたたみ式の大きなテーブルがついていて、その上に氷河急行の案内書とヘッドフォンが人数分置いてあった。
その冊子は6ヶ国語で説明がしてあった。また車両の入り口に掲げられているディスプレイとベルの音でコースのハイライトの合図があり、ヘッドフォンで希望の言語で説明を聞くことができるようになっていた。もちろん日本語で聞いた。
氷河急行の車内だけで販売されるオリジナルグッスのパンフレットもあり、私は孫の一人に帽子を買った。
夏休みを利用して旅行しているという彼は会社の上司へのお土産か、有名な傾いたグラスを買っていた。
|
|
|
|
雨にかすむ車窓 |
|
|
|
オーバーアルプ湖
オーバーアルプ峠はこのルートの最高地点海抜2033m |
|
オーバーアルプ湖 |
長時間の鉄道の旅に備えてビールを凍らせて持参していた。しかしコップがなかった。車内販売に来た時水を1本買ってプラコップが2つついてきたので、もう1個くださいと、これは旦那が頼んでみた。販売員の人は1本で3個?と驚いた風な表情をしながら、それでももう1個くれた。
ブリークでKさんと別れ、それから1時間ほどでツェルマットにつく。ツェルマットの駅はもうすぐというときに、進行方向の先にマッターホルンが姿を現した。ほんのチラッと。 |
|
|
|
アンデルマット |
午後5時少し前、ツェルマット駅に到着したときは雨は小降りになっていた。青年は部屋からマッターホルンが見えるホテルに泊まるとかでホテルからのお迎えがあるらしい。そこでお別れして私たちは駅前にタクシーが見当たらなかったのでシャレー(フラット)まで歩いて行くことにした。メールで住所がわかっていたのでおおよその見当はつけていた。
駅前正面左側にバーンホフ通りが見えるが、観光客で大賑わい。村の中心を真っ直ぐな道が1本伸びている。その通り中間点付近の教会を過ぎて次のバス停との中間くらいにgoogle
earthはマークをつけていた。しかし道路沿いから少し離れていて、道がない。それがどういう地形かがわからなかった。でも行ってみれば何とかなるだろうと、スーツケースを転がしながら進んだ。ここは長崎みたいに石畳の道路。馬車もひっきりなしに通っている。カバンを押して、小雨の中を傘もさせないで。
教会を過ぎて、坂道を登ってもうすぐバス停というところまで来てもそれらしい名前のシャレーがない。近くのシャレーに立ち寄り聞いた。すると随分通り過ぎたようでかなり後戻りしたところから急坂を上るように教えてもらった。しかしまたこれが舗装道路でなく、人一人が通れるような道。大きな石が無造作に敷いてあったり、石段みたいになっているところもある。こんなところにあるなんてと思いながら休み休み歩く。足が思うように運べない。きつそうにしていると後ろから来た人が声をかけてくれた。シャレーの名前を言うと間違いないこちらだと言って先に歩いて行く。重いカバンを抱え上げたり段差をゴトゴト転ばせながら、でもまだ半信半疑でついて行った。
その案内してくれた人は私たちが泊まるシャレーの前の家の人だった。かなり急坂をふうふうあがって一番上にシャレーはあった。6階建てくらいの大きな建物で、大家さんは私たちの隣の部屋に家族で住んでおられた。ここまでくるのが大変だったことを言うと、エレベーターがあったのだと。タクシーで来ればわかったのにだって。案内してもらったエレベーター乗り場は先ほど私たちが引き返した場所のすぐ先にあったのだ。最初から教えてくれてれば良かったのに、メールには一言もそんなこと書いてなかったぞ。もっとも歩いて行く人なんかいないのだろう。誰が考えてもまずタクシー利用だよね。シャレーから町中に出るにも広いなだらかな道が教会そばに通じていた。
荷物がある時などは絶対無茶をしないこと。今回でほんと身に沁みた。
4つ星であるだけに、部屋がきれい。新しい。2階だったが斜面に立っているため二重ガラスの外は庭。芝生と花が植えてあった。マッターホルンは残念ながら見えない。サンモリッツに比べると部屋は狭かった。でもキッチンは使いやすそうだし申し分ない。ここにも食器乾燥機はなかったが、水切りかごが置いてあったのでそれで随分助かった。
|
|
|
|
|
駅前から左手のバーンホフ通り |
|
いつもこんな賑わいです。 |
|
ベッドに寝そべってシュバルツゼーパラダイスが見えました。 |
収納もたっぷりです。 |
テラスからはケーブルカーも見えました。 |
|
|
|
|
きれいなキッチン。大きなオーブンでピザを
焼くのが楽しかった。 |
|
調味料もこんなにたくさん。私は持参したものを
使いましたが。 |
|
|
|
洗面所、明るくてきれい。 |
|
お風呂場。シャワーカーテンでないのが清潔で
よかった。 |
外はまだ小雨が降っていたが、荷物を置いて明日からの下調べに駅付近まで行った。ゴルナーグラードやロートホルンへ行く鉄道駅は国鉄スイス駅近くにあるはずだった。教えていただいたなだらかな近道を確認する必要もあった。手ぶらでその坂道を下っていくと駅までほんとに15分くらい、距離的には何の問題もなかった。
国鉄駅とその隣の観光案内所でハイキングマップや時刻表などをもらった。国鉄駅前にゴルナーグラード鉄道駅とスーパーCOOPがあった。COOPはもう時間が遅かったので閉まっていたが、店前に掲げてあるオープン時間では日曜日も夕方の時間帯に開くよう書いてあった。
少し離れたスネガ行きのケーブルカー乗り場を確認して、バーンホフ通りと平行に伸びるマッターフィスパ川沿いに歩いた。案内書にマッターホルンの朝焼け、夕焼けを狙う絶好のスポットの橋があると書いてあったので見に行った。それまで見えなかったマッターホルンが前方に姿を現した。雲がかかっていたが間近に見るその姿は圧倒されるくらい大きかった。もうすでに溢れるほどの人たちがその橋周辺に集まってみんなカメラを構えていた。日本から来た団体さんが大勢を占めていた。明日は朝早く出発だとか、雨のマッターホルンでお気の毒だった。
マッターホルンで犠牲になった登山家などが眠る墓地の横を通りバーンホフ通りに戻って日本語観光案内所へ行った。通りから少し入り込んだところにあったが、閉まっていた。 |
|
|
|
|
共同墓地 |
|
京都ツェルマット会との提携プレート
|
シャレーにに戻って私は夕飯の支度。旦那はテレビをつけるが画像が出ない。隣の大家さんの奥さんを呼びに行って、あれこれいじって原因不明のまま画像が出た。バッテリーが弱かったのかもわからない。旦那はまた洗濯機がどこにあるか尋ねて、使い方を習いに行った。洗濯機は地下室にあった。奥さんはまだ40代くらいの美人さん、とても気さくな人だった。英会話は双方ともにそれなりのレベル、でも何とかなったようだ。 |